[倉重祐二(新潟県立植物園副園長)×小林伸雄(島根大学生物資源科学部教授) Special Interview]
(「広報のと」No.64 2010.6より)
—のとキリシマとは。
小林ツツジの分類の中で、江戸キリシマという品種があります。その江戸キリシマの中で能登にあるものを「のとキリシマ」と呼びます。
倉重もともとは、正保年間(1644年から1648年)に九州の霧島山から大阪を経由して5本に分けられ、そのうち3本が江戸に入ったんです。その3本が江戸で増やされて、いろいろな品種ができました。これを江戸キリシマと呼び、この江戸キリシマが能登に入ってきたんだろうと思います。
—学術調査を行った理由は。
倉重最初は宮本さんが県立大学にお願いして、専門ではないということで回り回ってわたしに話がきました。
小林ツツジ専門の研究者というのは非常に少なくて、関東系の園芸品種をやっているのがわたしと倉重さんだけなんです。
倉重宮本さんからは「自分たちはすごいと思っている。とにかく来てくれ」という話でした。植物園にはそういう電話がよくありますが99%はたいしたことはありません。あまりにも宮本さんが熱心なので、「聞いたことないけど行ってみるか」と小林さんを誘って能登に行きました。最初はあまり期待はしていなかったですね。
—初めて能登入りした印象は。
小林わたしは以前、館林市の職員として「つつじが岡公園」に勤めていて、キリシマツツジはここにしかないだろうと思っていました。ところが能登は農家に1本1本あるというスタイル。なんでこんなに大きいキリシマがたくさんあるんだとびっくりしました。
倉重能登の特徴は、木の大きさと品種の多さです。個人の家にあるというのもほかにない特徴といえます。
小林能登の風景もすばらしいと思いました。黒い瓦の大きな家が新緑の田んぼの間にあって、裏庭には真っ赤なキリシマが咲いている。こんなきれいな場所はほかにないですね。
倉重裏庭にあって近所の人にも知られていないことがあるというのも面白いですね。
小林江戸で発達したはずのキリシマが、なぜ能登半島の端っこにあるのか調査してみようということになったんです。
倉重江戸や京都、大阪に残っているのなら分かりますが、なぜ「能登」なんだろうというところがスタートでした。
—何を調査したのか。
倉重のとキリシマがどこから来たのかというルーツと、能登独自の品種があるのかということ。さらにどの地域にどれだけのものがあるか明らかにしていこうということでした。
小林DNAを調べてみると、集落ごとに同じような品種が分布しています。半島の山の中に、このような花を愛する文化があったということもすばらしいなと思います。
倉重樹齢100年以上の古木が地域に300株以上あるというところは能登以外にありません。日本にないということは世界にもないんです。本当によく残してきたなと思います。
能登は日本一の集積地。地域全体で守る必要がある。(倉重)
—調査結果で注目すべき点は。
倉重まず日本一の集積地であるということです。分布を見ると能登町や珠洲市など先端に近いほど残っています。品種では、名前が分かっているものが7種類。今まで名前がついていなかったものが3系統あります。
小林DNA分析の結果、本霧島は全国的にほぼ同じものだということが分かりました。これはある時期に全国的に一斉に広まったと言えます。「本霧島」以外の系統の中に、能登独自のものがある可能性があります。皆さんが「これがキリシマだ」と思っていたものは、実はどこにでもあるもので、逆に「価値がない」と思っていたものが貴重な品種なのかもしれません。これらすべてを含めてのとキリシマツツジと呼んでいいと思います。
倉重能登の調査から始まって全国各地を比較してみることで、日本の園芸文化がどのように広がったのかという、今まで誰も調査したことがない大きなテーマも出てきています。
小林能登には祭りなど独特の文化が残っていますが、キリシマも能登独自の文化と言えるのではないでしょうか。
倉重10年、20年ではなく、100年以上守られてきたということは地域に根付いた文化そのものです。これからも地域で大切に残していかなければいけないものです。
のとキリシマは能登独自の文化。地元がもっと価値を知るべき。(小林)
小林わたしは海外の学会で発表するときには必ずのとキリシマの写真を見せるんですが、もう驚くしかないという状況です。専門家がびっくりするくらいの価値をもっとアピールするべきですし、地元の人にも分かってもらうべきだと思います。
倉重あの赤の濃さと木の大きさを見ると、よそから来た人は驚くでしょう。江戸の園芸は当時世界最高水準でしたが、その中でもキリシマは頂点でした。
小林300年、400年という時間はお金では買えません。能登全体で計算すれば、ばく大な価値になりますね。
—住民へのメッセージを。
倉重のとキリシマは個人のものであって個人のものではないところがあります。持っていない人は関係ないのではなく、地域の文化的財産として認識して、皆さんが興味をもって積極的に参加することが将来につながるのだと思います。
小林今、のとキリシマが注目されている時代に各戸に1本ずつ植えればいいと思います。それが次の100年後につながります。いい条件で植えれば、300年400年育つことが保障されている場所ですから。江戸時代のキリシマブームを、能登でもう一度つくる良い機会なのではないでしょうか。