DNAからみた「のとキリシマツツジ」の品種発達と起源の推定(島根大学生物資源科学部教授 小林伸雄)

(平成24年3月4日京都府立植物公園にて発表)

能登のツツジのご紹介をさせていただきます。今回のツツジの話の中では出雲、京都、能登などの話題が出て参りますが、最終的にはキリシマは日本海文化をつなぐものであるという方向性でお話を進めさせていただこうと思います。

折角ですので、少しだけ出雲のご紹介です。出雲といえば、宍道湖のシジミ、松江城、どじょう掬いが有名ですが、花ではツツジよりもボタンが有名です。大根島のボタン売りが全国各地を訪ねており、京都の方にも来ていると思います。

また、現在、島根大学からは私が育成した「出雲おろち大根」の種を販売させていただいております。宍道湖の浜に自生するハマダイコンを品種改良したもので、出雲神話の「ヤマタノオロチ」にちなんだ名前を付けさせていただき、出雲そばなどの薬味として利用いただくものをご紹介させていただきました。「古事記編纂1300年」で神話博しまねが開催され、平成25年5月に出雲大社の遷宮祭が開催されました。

それでは、ツツジの話に入ります。「キリシマ」の起源地と現存品種をまず紹介させて頂きます。先ほどもお話にありありました、今から300年以上前に編集された「錦繍枕」というツツジの専門書は、版画刷りの白黒の本です。この中には300品種以上にツツジが収録されていますが、この1ページ目にあるのが、この「霧島」です。この当時から一番の花だという意味が理解できます。現在、色とりどりのビジョンを見る機会がある我々でさえ、本当の深紅のキリシマの花を見たら「はっ」と心が動く、それだけ素晴らしい花であることがわかります。このキリシマのデカイ木が満開に咲いているのを観たときに心が動かない人はいないと思います。江戸時代の方々はもっとセンシティブだったと思いますから、いかに感動したかと思い知ることが出来ます。

今の旦那様方に「キリシマとは何ぞや?」と問うと、だいたい焼酎の名前が思い浮かぶかも知れません。このキリシマの名称は九州の霧島山から来ている「キリシマ」です。有名な「薩摩おはら節」をご存知ですか?「♪花は霧島、タバコは国分・・」という歌です。このキリシマは霧島山のことを指していまして、そこに咲いている「キリシマツツジ」と言うのは、赤紫色の花のことです。正武には、ミヤマキリシマといいまして、鹿児島県の県花であり、長崎県の県花であります。長崎県花の名前は雲仙ツツジ、長崎の雲仙岳に生えているツツジということで、ミヤマキリシマの地方名です。霧島山の標高1000mあたりに行けば、座布団を引いた様に咲いているのです。山の下の霧島神宮のあたりにはヤマツツジがあり、ミヤマキリシマとヤマツツジの生えている中間の標高800mくらいの地帯には両種の雑種である色とりどりの集団があります。江戸キリシマやクルメツツジはこのようなツツジの中から選び出されてきたことが想像できます。私は大学院のときにこれらの調査をしておりました。このように、霧島から京都に献上され、そして江戸に渡った「キリシマ」は、出てきた自分の出身地の名前を背負っているツツジということです。

現在、キリシマツツジはどこに行ったら見られるかというと、京都の皆さんだったら長岡天神さんに行けばいいとおっしゃるでしょう。そこのものは歴史が分かっておりまして約100年前後とのことです。また去年行かせていただきましたが曼殊院門跡のお庭にはかなり古い木がございました。

江戸キリシマの品種群にはいろいろな品種があって、それは江戸の植木屋伊藤伊兵衛らが中心に品種を発達させたことから、江戸つまり東京を中心に残っているこになります。現在どこに行ったら見られるかというと、関東では上州、群馬県館林市の国名勝である「つつじが岡公園」で見ることが出来ます。京都の方は恐らくご存知ないかもしれません。私は大学に勤める前にこちらで3年程ツツジ古木の管理に携わったことがあり、確かに古い木があります。人の大きさや、松の木と比べて大きなツツジが見え、背の高さの倍ぐらいのツツジのトンネルを通れる所もあります。江戸時代から続くツツジ園で、「花山(はなやま)」と地元の方は言います。この沼の脇に館林城があり、花の時期になりますと殿様が舟に乗って花見に出かけたということで、当時からツツジが大事に守られてきました。その後、様々な変遷を経て現在は県立公園として管理されています。開花の一番良い時期は、気象の変動にもよりますが、4月29日前後です。

そこにどんなツツジがあるかを紹介します。「本霧島」、「二順霧島」、「八重霧島」です。葉っぱが見えないくらいに、木を覆いつくして花が咲いています。

それから「白霧島」、「紅霧島」、これは非常に目立つ花です。他に「日の出霧島」です。花の咲き方が違う、「桔梗霧島」と名前を付けられたもの、あるいはサツキのように絞り咲きする品種「東錦」も古い品種です。

今からツツジのDNA分析の話をします。DNA分析と聞きますと犯罪捜査が思い浮かびます。現場に残っていた血痕や毛の毛根からDNAを分析し、犯人と同じかどうかを捜査の証拠にするものです。ツツジの場合も同じことで、日本国中にキリシマと似たようなツツジがたくさんありますが、樹勢の良し悪しや、花の有無などに影響せずに判別することができるのがDNA分析です。DNA分析は人間も植物も持っている遺伝子情報を比べてみるものです。実際は葉っぱを採ってきて、このような手順で分析を行います。いろいろな難しい原理を使っていますが、葉っぱをする鉢でつぶして、薬を混ぜて遠心分離機を用いてDNAを取り出す。取り出したDNAを機械で一定の部分を増幅して見やすくします。これをさらに寒天ゲルに入れて電気を流すと増幅された大きさによってふるい分けられます。実際にはバンドになって見えるという原理です。

実際の分析結果をみると、同じ品種のツツジ同士を比べてみるとバンドはそれぞれ同じパターンです。ツツジの場合は、1本の原木をもとに挿し木で増やしますから、その増やした株同士とその親株のDNAはまるっきり同じでなければいけないのです。

実際に、のとキリシマを使って分析をしました。まずRAPDマーカーによる分析です。能登、新潟、鳥取、栃木の各地のキリシマで、ちょっとバンドが薄い所もありますが、「本霧島」としてバンドがピッタリと一致します。このような手順でDNA分析結果を判定していきます。各地の「紅霧島」や「紫霧島」もDNAバンドパターンが一致しました。一方、「けら性(けらしょう)」と呼ばれる「本霧島」に比べて花色が薄く、花が大きいなどの系統の分析結果をみると、全てがバラバラのバンドパターンを示したことから、多様な系統が含まれていることが分かります。

次にSSRマーカーという分析法を使ってさらに詳しく分析しました。各地のキリシマの古木について、大きさや由来を調査しながら、葉っぱを採ってきて分析します。

私が住んでいる島根県松江市にもキリシマツツジがありまして、お宅にお邪魔して調査を行いました。キリシマ古木の調査の中で、樹齢300年、400年というのは推定の範囲です。松の木だったら幹を切って年輪を数えれば、樹齢が分かりますが、キリシマの直径7cmほどのキリシマの幹の幹齢は約100年で、ものすごく年輪が細かく詰まっていました。そのような幹が何本か集まって1本の古木を形成するキリシマでは、本当の樹齢の判断が出来ません。その点でも、DNA分析の結果や古い文献の記載情報をあわせて歴史を辿って行くしかないだろうと思われます。

今は少し寂しい能登半島の先端地域ですが、江戸時代の調査研究では明らかに今より昔の能登の方が栄えていたと言う歴史が分かってきました。時国家も船を持っていて廻船業を行っていたという歴史的な証拠も出て来ています。今よりもずっと華やかな時代の文化の交流地に各地から流れ込んだ産物の一つとしてキリシマが位置づけられると面白いと思います。

話を戻しますが、鳥取、新潟、栃木、また高知の四国の山の中での調査も行いました。それから江戸つまり東京では今どうなっているのかというと、新宿御苑や六義園でも調査をしましたが、能登ではよく見かけるような本当に大きな古木は東京では数が少ないでした。

平成20年では100個体、その後、さらに追加してDNAサンプルとしては、150個体程度を収集しました。能登をはじめ、佐渡、鳥取や高知の山中、群馬、栃木にもあることがわかりました。さらに各地の「紫霧島」、「紅霧島」も各地にあるもの同士でピッタリとデータが一致しました。このことから一つの品種が各地に広がっていったことが分かります。

もう一つ面白い結果が出てきました。「けら性」と呼ばれる、各地で多様なDNAパターンが出て混沌としている系統では、松江で出たパターンと同じパターンが佐渡島で出たのです。このことは、能登を挟んで、佐渡と松江の位置関係から、そのキリシマが船で運ばれたことが分かります。さらにサンプルを増やして分析することで、より詳細な関係が明らかになっていくだろうと思われます。

ここで、昔の北前船の航路が伝播に関わっていたことが浮上してきます。まとめますと、能登をはじめとして、各地に残っているキリシマの各品種や系統は、DNA分析でピッタリと一致するものが出てきました。その伝播の経路としては、参勤交代などの陸上の輸送もありますが、当時の地域間をつなぐとして有力な伝播手段として船、つまり北前船ではないかと考えています。

今後のツツジ調査として、能登の主要な個体h調査していますので、全国各地の個体についてさらに比較調査し、DNA分析を進めていく必要があります。また、NPOの皆さんが一つ新しい系統について「紅重」と名前をつけて発表し、キリシマを中心とした地域活性化活動を推進しておられます。農家の裏庭にキリシマがあるというスタイルもツツジの園芸文化では非常にめずらしいものです。そのようなことを含めてキリシマを地域の宝として益々発達させて欲しいと思います。

宮本会長からも世界農業遺産の話が出ました。最初聞いた時は「あの世界遺産?」と思いましたが、最近は、その夢が近づいて来ているなと思います。とにかく、のとキリシマの魅力は実際に見ないと分からないと思います。我々のツツジ研究への注目がきっかけとなって、地域とNPOの発展、そして、のとキリシマの素晴らしさを感じていただくために、能登に訪問していただきたいと思います。