角畑勲さん(志賀町鵜野屋)

角畑勲【PROFILE】かくばた・いさお

昭和17年生まれ。志賀町鵜野屋ロ133。

「桜の花よりキリシマを待っとった。」

角畑家の古木は「鵜野屋のキリシマツツジ」として有名で、峨山キリシマツツジと呼ばれる一群の母樹のひとつとされていますね。

「この地域は稗造(ひえづくり)といって鎌倉時代に峨山禅師が羽咋のお寺と門前の総持寺を往復した時に使った山道「峨山道
が通っとる。禅師が鵜野屋の中平(なかんじゃら)にあった中平(なかひら)家のキリシマツツジを見て一服したという伝説があるし、そのキリシマの種が道沿いに落ちたともいわれていて、実際に大きなキリシマツツジの古木が50本も残っている。ここらではみんな桜の花よりキリシマを待っとった。」

kakubata1ー昔の思い出をお聞かせください。

「子供の時分、今は無くなってしまった中平の大きなキリシマツツジが満開の頃、その前で在所中が楽しみにしていた「演芸会」があった。5月10日過ぎやったかなあ、代掻きが終わって5月終わりの田植えまでの中休みの時期だった。餅と酒くらいなもんやったが当時はごちそう。酒も滅多に飲めなかったからじいじも格別の気分を伸ばせた。」

kakubata2ー家族に伝承はありますか?

「ウチのキリシマツツジは6代前に中平家から株分けしたというが詳しいことは残っとらんしよう分からん。ツツジの先生が来て樹齢三百年以上と教えてくれた。昔は屋根雪に押さえられてキリシマは雪に埋もれていた。子供は雪すべりの土台にしてその上でよく遊んだ。やがてじいじが大事にせんなんなあと言って杉やアテを切って日当たりをよくした。じいじはせんかったが私は雪吊りもするようにした。竹ぼうきで雪を落としたり夏は週三回の水やりも大事。油かすの施肥、そうじ、脇芽かき・・・面倒やな、世話せんな、たいそいという気持ちはあるが花を見ると消えていく。満開の花を見てホッとする。いい慰め。」

kakubata3ーキリシマツツジを見に来る人はどんな方たちですか?

「最近は金沢や県外からもよう人が来る。バイクの人も来る。三分咲きくらいの時に見に来て「何日位が見頃ですか」と聞いてまた来てくれる人もおる。こんな草深いところによう訪ねてくれると思うが、キリシマがあるさかいこういう出会いがある。縁側に腰かけ、見に来てくれた人が楽しんでくれてるかなあと気になる。年によって見頃が変わるからちょうど田植えの忙しい時期と重なることもあるが、そうでないときはなるべくみなさんに応対するようにしている。『これは大事にしまっしね』『また来るさかいにね』と言われると励みになる。キリシマツツジは生き甲斐やね。」

ー角畑さんのお仕事は?

「農協に30年勤めておりました。その後は富来の工場や観光施設などいろいろな仕事もしました。その一方で田んぼや畑も。ひえづくりは耕地整理も遅かったのでオアシを使う昔ながらの重労働の稲作を30年くらい前までしました。今はほとんど自給用です。」

富来川上中流域の山間地の鵜野屋ですが、集落の高い所にある角畑さんのお宅は広々とした眺望でした。開花期にはオープンガーデンとして開放されています。

のとキリシマツツジの集積地のひとつで「峨山キリシマ」で地域振興を図る穴水町四村地区とは山を挟んで背中合わせの位置です。