キリシマツツジは花が咲いても実はつきません。株分けや挿し芽によって人の手で植えられたものです。キリシマツツジはそもそも江戸霧島という園芸品種です。霧島山に自生するミヤマキリシマからキリシマツツジが生まれ、原木(本霧島?)が薩摩から大阪を経て京都と江戸にもたらされたのが1656年と記されています。特に江戸・染井の園芸家の下で作られたものを江戸霧島品種群といいます。
これまでキリシマツツジの来歴は伝承の域を出ず、断片的な情報から推論や憶測がひとり歩きしていくつもの定説がありました。またキリシマツツジは樹齢がわからない木なので推定せざるを得ず、混乱に拍車をかけていました。今ようやく文献に基づいた正確なアプローチが始まったのです。
更にDNA鑑定による科学的なアプローチも試みられています。江戸霧島品種群について島根大学生物資源科学部教授の小林伸雄氏は能登と日本各地に残っているキリシマツツジのDNAを分析しそれらが同一であることを証明しました。同じ原木から挿し木で増えた傾向がうかがえますが、対象を広げて現在も調査中です。また品種不明のけら性の分析から日本海における北前船による伝播が示唆されました。
しかし未だ多くの疑問が残ります。
- 輸送ルートは?
- 輸送の方法は?
- 販売の仕組みは?
- 広まったわけは?
- 能登に残っているわけは?
今後の研究成果が待たれるところです。また皆さんからの情報提供もぜひお願いします。
最後に先生方からのエールです。
「樹齢百年以上の古木が地域に500本以上ある所は能登以外にありません。日本にないということは世界にもないんです。地域全体で守る必要があります。」(倉重)
「能登は農家に一本一本あるという他にはないスタイル。なんでこんなに大きいキリシマがこれほどたくさんあるんだとびっくりしました。地元がもっと価値を知るべきです。」(小林)
どんなにお金を積んでも歴史は買えないし作れません。「のとキリシマツツジ」は地域の宝です。