酒井一以さん(能登町五十里)

酒井一以【PROFILE】さかい・いちい

昭和5年生まれ。能登町五十里ム172-乙。

「次郎ヱ門のキリシマ咲いたじゃ」

酒井さんのお宅は2本の本霧島と四季咲霧島もありますが、なんといっても紫霧島が見事です。紫霧島の大木は珍しく石川県指定天然記念物です。居間から庭のキリシマツツジをみることができますね。満開の時はひとしおでしょう。

「別段感慨はないが、今年も咲いたじゃ、また時期が来たなあと思う。紫のが一番古い。どこから来たかなんも分からんが先祖が育てた。じいさまは樹齢300年以上と言っとった。そのじいさまが亡くなって100年経った。ツツジの先生が来て紫霧島の古木は他にない価値があるから大切になさいといったが「ほーですか」と思うた程度や。」

OLYMPUS DIGITAL CAMERAーキリシマツツジと地域との関わりは?

「昔、在所では次郎ヱ門(酒井家の屋号)の花が咲いたら田んぼに肥やしをやった。仏花で近所の人が摘んで持ってった。よく枯れんと何百年も繰り返して、よっぽど地面にあっとる。朝日当たる東向きがいいらしい。水位もちょうどいい。そやけど紫霧島はなかなか太らんし大きくなっても上に上がらん。」

ーキリシマツツジのお手入れは?

OLYMPUS DIGITAL CAMERA「紫霧島は枝に弾力がない。すぐ折れるから雪に弱い。雪吊りが一番大変。合掌みたいにして板貼っつけて茅を使う「雪囲い」や。学校終えたなりに我流で始めてずっとやっとる。特に剪定はしとらんが草を取ったり年に2回油かすをやったりする。紫霧島は3回ほど同じ場所で植え替えた。今のは梅さん(NPO法人会員・故人)が手入れして芽を坊主にして鹿沼土で盛り上げた。その年は咲かんかったが次の年から見事になった。」

「五十里は職人が育たん所。みんな貧乏やったし盆暮れに回るけど金取れない。父は鍛冶屋やったけど出征したら戻ってこなくなった。戦後に農地開放があって作っていた田んぼが自分のもんになった。おかげさまで自分で食べられる米がある。これが一番うれしい。そんなんで昔は花見なんて心の余裕は無かったが、20年前からキリシマツツジに関心が持たれるようになって人が見に来はじめた。「きれいねー。」「わあ、いいね」と言って頂けるのがうれしい。バスも個人も500人くらいくる。大阪から来る人もいる。よくぞ遠い所から。」

OLYMPUS DIGITAL CAMERAー今後のキリシマツツジの継承は?

「長男は愛知県におるが田舎が好きなんかもしれん。うちに帰ってくるかも。なんとか枯れないようにしたい。生き続けた木に感謝。」

能登町柳田の町野川上中流域の岩井戸地区で、その入口に五十里はあります。能登でも有数の多雪地帯です。飄々とした酒井さんはご苦労をあえて人前ではおっしゃられない能登らしい方です。開花期にはオープンガーデンとして開放されています。