タイトル:深紅の戸籍簿 ~のとキリシマツツジの古木調査報告書~

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概要

深紅の戸籍簿。「のとキリシマツツジ」の古木の、分布と品種の調査報告書(平成29年改定版)です。

のとキリシマツツジの保護と育成の経緯昭和49年4月盆栽や菊作りの同好者を集めた「花の会」設立(会員30名)会長に垣内準氏を選出昭和50年1月「柳田村鉢づくり友の会組織委員会」を設置4月「柳田村鉢づくり友の会」発足会長垣内準氏6月第1回柳田村鉢作り友の会さつき展開催10点を展示(昭和61年まで毎年実施)昭和53年6月鹿沼市「さつき祭」へ視察旅行・育苗に関心が高まる県立柳田農高の藪、二又、竹内先生が、のとキリシマツツジの「挿し芽苗つくり」の研究に着手昭和55年7月県立柳田農高の藪、二又、竹内先生が、のとキリシマツツジの「挿し芽苗つくり」の研究成果を発表マスコミが取り上げ、「能登キリシマ」の名が全国的に広まるきっかけとなる昭和59年3月「柳田村鉢づくり友の会」昭和58年度総会にて、会長に宮本康一氏を選出6月鹿沼市渡辺真華園主が、柳田村立黒川小学校6年生に苗木贈呈(平成6年まで継続)昭和62年5月「さつき展」を「第1回能登のキリシマツツジと山野草展」と改名し興能信用金庫柳田支店駐車場にて開催昭和63年3月「柳田村鉢づくり友の会」を「柳田村盆友会」と名称変更する能登キリシマ保存指導員として、梅晴夫、桐木昭三、水木由一の3名に委任を決定5月昭和66年石川国体「アーチェリー選手団」へ、のとキリシマツツジ苗木の贈呈を柳田村が決定平成元年5月「能登のキリシマツツジと山野草展」を興能信用金庫駐車場で開催平成3年5月「第5回能登キリシマツツジと山野草展」を第1会場興能信用金庫柳田支店駐車場、第2会場を柳田村植物公園会場として同時開催10月石川国体「アーチェリー選手団」へ、のとキリシマツツジの苗木贈呈平成5年1月「柳田村盆友会設立20周年記念誌」発刊決定6月樹齢200年以上の古木の調査に着手平成6年5月平成7年5月金沢市「名鉄丸越デパート」にて「キリシマツツジ展」開催10月「古華~能登きりしまつつじ~調査書」発刊金沢市「金沢市観光会館」にて「キリシマツツジ展」開催(平成12年まで金沢市内で開催)平成12年5月宮内庁(常陸宮殿下)へ「能登きりしま盆栽」献上平成16年6月「のとキリシマツツジ連絡協議会」を輪島市、珠洲市、穴水町、能都町、柳田村、内浦町の愛好家が設立会長に宮本康一、事務局長に福池睦夫氏を選出「のとキリシマツツジ」に名称を統一7月能登空港開港平成17年4月倉重祐二新潟県立植物園副園長、小林伸雄島根大学教授による、のとキリシマツツジ調査を能登全域・加賀方面で着手(4/30~5/2)5月能登空港開港を祝し、空港前で「のとキリシマツツジフェスティバル」を開催(以降毎年開催)7月珠洲市大谷の池上家ののとキリシマツツジを県文化財保護審議委員が調査大阪城天守閣博物館でキリシマツツジの文献調査(小牧・長久手合戦絵図屏風)8月「のとキリシマツツジアンケート」を能登全域で実施11月「のとキリシマ節」発表平成18年2月能都町・柳田村・内浦町が合併し、能登町となる5月輪島市小坂家・珠洲市池上家古木(本霧島)が県天然記念物に指定される7月「のとキリシマツツジ調査」報告会(珠洲市・商工会議所)平成20年5月県奥能登総合事務所管内4自治体で「のとキリシマツツジのオープンガーデン」を(34戸)で実施(以降毎年実施)「石川県立能登産業技術専門校」で倉重祐二新潟県立植物園副園長、小林伸雄島根大学教授が「のとキリシマツツジ」の講義を行う(以降毎年春季(5月)秋季(10月)に実施)「写真紀行~のとキリシマツツジ~」発刊能登町酒井家の古木(紫霧島)が県天然記念物に指定される平成21年2月宮本家で「NPO法人設立準備委員会」設置4月「NPO法人のとキリシマツツジの郷」設立総会(24名)5月「第1回キリシマツツジ品種鑑定会」を石川県立能登産業技術専門校で開催277